オレンジの皮はなぜ平らにならないか ― 内側からわかる曲がり
Why You Cannot Flatten an Orange Peel
読み物
オレンジを剝いて、その皮を一枚、机の上に広げてみてほしい。きれいに平らにしようとすると、必ずどこかが破れるか、皺が寄るか、端がめくれ上がってしまう。どんなに丁寧にやっても、皮はぺったり一枚の平面にはならない。あたりまえのようでいて、これは実はかなり深い事実である。
同じことが、もっと大きなところでも起きている。地球儀の表面を平らな世界地図に写すと、グリーンランドが南米なみに巨大になったり、形がいびつにねじれたりする。完璧な世界地図は原理的に作れない。オレンジの皮と世界地図、この二つを結ぶのが曲がりは面の内側だけで決まるという、十九世紀のガウスが見つけた驚くべき定理である。今日はその話を、肩の力を抜いてたどってみたい。
紙は曲がるが、伸びはしない
まず、紙を一枚思い浮かべよう。机の上の平らな紙を、くるりと丸めて筒にする。あるいは波打たせる。このとき紙は確かに「曲がって」いる。ところが面白いことに、その紙の上に描いた図形の長さも、角度も、面積も、まったく変わらない。曲げる前後で、紙の上の幾何はそっくりそのままだ。
つまり曲がりには二種類ある。一つは、外の空間から見て面がどう湾曲しているかという見かけの曲がり。もう一つは、面の上の長さや角度に実際に効いてくる、面そのものに内在する曲がりだ ―― 以下ではこれを、親しみを込めて本物の曲がりと呼ぶことにする。筒に丸めた紙は前者の意味では曲がっているが、後者の意味ではまったく曲がっていない。曲線論で一本の曲線に曲率を与えたのと同じ発想を、面に持ち込むと、この区別がくっきり見えてくる。
ここで、この先ずっと守る約束をひとつ決めておきたい。面は曲げてよいが、伸ばしたり縮めたりはしない ―― 紙やオレンジの皮のように、丸めることはできても素材そのものは伸び縮みしない、と考える。この「伸び縮みさせない」が、話全体を支える土台だ。もし伸び縮みを許してよいなら、曲がった面も力ずくで平らにできてしまう。ただしその代わり、面の上の長さや面積は容赦なく歪む ―― それが後半に出てくる世界地図の話である。伸ばさない・縮めない、この約束の下ではじめて、「曲がり」は動かしようのない本物の性質になる。
そしてオレンジの皮や球面は、紙とちがって、さきほどの本物の曲がりまで持っている。だからこそ、伸ばすことを許さないかぎり、平らな紙のようには広げられないのだ。
切っても、曲げても、どうしても消えない曲がりが残る。では、この「消えない曲がり」の強さは、どうやって数で測ればよいのだろう。
ガウス曲率という「一つの数」
面のある一点で、その本物の曲がり(面に内在する量なので内在的な曲がりとも呼ばれる)を一つの数にまとめたのがガウス曲率 $K$ である。考え方はこうだ。その点で面をいろいろな向きに切ると、断面の曲がり具合は切る向きによって変わる。その中でいちばん強く曲がる向きと、いちばん弱く曲がる向き(この二つは必ず直交する)の曲がり具合を主曲率 $\kappa_1,\kappa_2$ といい、これを掛け合わせたのがガウス曲率 $K=\kappa_1\kappa_2$ だ。向きを適当に選んで掛けても $K$ にはならない ―― 最大・最小というこの二つの向きを選んだときだけ、積がちょうど $K$ になる。
掛け算にしているのが効いてくる。球面のように、どちらの向きにも同じ側へ丸まっている面では二つの曲率が同符号で、$K>0$ になる。馬の鞍やポテトチップスのように、一方へ反って他方へは逆へ反っている面では符号が逆で、$K<0$。そして平らな紙や筒の側面では、少なくとも一方の曲率がゼロなので、積も $K=0$ になる。筒は見かけ上は曲がっていても、ガウス曲率はゼロ ―― これが「紙は曲げられても伸びない」という先ほどの感覚の正体である。詳しい計算の枠組みは曲面論が用意してくれる。
ひとくちメモ:ポテトチップスの形には理由がある
ポテトチップスがあの鞍型に反っているのは、偶然ではない。$K<0$ の鞍型は、平らな円盤を縁が余るように波打たせた形であり、ポテトチップスの剛性を高めて割れにくくする(もちろん割れやすさは厚みや水分にもよるが、形が効くのは確かだ)。チップスを割るには曲げねばならないが、二方向へ反った面をさらに曲げるには素材を伸び縮みさせるしかない(面の曲がりは伸縮なしには変えられない=次節の驚異の定理)。硬くて伸びないチップスはそれを拒むので曲がりにくく、割れにくい。平らなチップスなら伸縮なしにパキッと折れてしまう。
反り上がる
反り下がる
ガウスを驚かせた「驚異の定理」
ここまでのガウス曲率の定義は、面を外の空間に置いて、外から断面の曲がりを測る話だった。ところがガウスは1827年、信じがたい事実を証明する。ガウス曲率は、外の空間を一切見なくても、面の内側で測れる長さと角度だけから決まる ―― これである。
あまりに意外だったので、ガウス自身がこれをラテン語で Theorema Egregium、すなわち「驚異の定理」と名づけた。なぜ驚異なのか。$K=\kappa_1\kappa_2$ という定義には、外の空間でどちらへどれだけ反っているかという、いかにも「外から見た情報」が入っている。その積だけは、外を見ずに内側の測量だけで復元できてしまう、というのだ。二つの主曲率は外側の情報に依存するのに、その積は内側で閉じている。
これが意味するのは、面の上に住む二次元の住人が、自分の世界の外へ出られなくても、足元の幾何を測るだけで「自分の住む面が曲がっているかどうか」を知れる、ということだ。曲がりは、外から眺める観光客のものではなく、内側に住む者のものでもあった。この「内側から世界の曲がりを語る」発想は、のちにリーマン幾何学入門へ、さらには曲がった時空を扱う一般相対論へとまっすぐ伸びていく。
三角形の内角の和で曲がりを測る
では内側の住人は、具体的にどうやって曲がりを測るのか。いちばん有名なのが三角形の内角の和だ。平らな面では、三角形の内角の和はぴったり $180^\circ$。これはユークリッド以来の常識である。ところが曲がった面では、そうはならない。
地球儀の上で、北極から赤道へまっすぐ下り、赤道を $90^\circ$ ぶん横に進み、また北極へまっすぐ戻る経路を考える。三つの角はどれも直角だから、内角の和は $270^\circ$ ―― $180^\circ$ を大きく超えてしまう。これは球面が $K>0$ だからだ。逆に鞍型の面($K<0$)では、内角の和は $180^\circ$ より小さくなる。$180^\circ$ からのずれが、ちょうどその三角形が囲む領域の曲がりの総量に等しい(正確には、囲まれた領域にわたるガウス曲率の積分 $\iint_{\triangle} K\,dS$ に等しい)。これがガウス=ボネ定理という、内在幾何の白眉である。
北極
90°
90°
赤道
円でも同じことが起きる。平面では半径 $r$ の円の周は $2\pi r$ だが、球面に描いた円の周は $2\pi r$ より短く、鞍型では長くなる。中心から測った半径に対して、周の長さが予想とどれだけずれるか ―― そのずれの割合が、また曲率を教えてくれる。住人は、巻き尺と分度器さえあれば、空を見上げずとも世界の形を測量できるのである。曲がった面の上の「まっすぐ」、すなわち大円のような測地線に沿って三角形を描くのが、その測量の基本となる。
完璧な世界地図が作れない理由
驚異の定理は、思いがけず実用の問題にも刃を向ける。正確な世界地図は原理的に存在しない、という宿命だ。
地球の表面は $K>0$ の球面、紙の地図は $K=0$ の平面。ガウス曲率は内側の測量で決まる不変量だから、伸び縮みを許さないかぎり、球面を平面へ写すことは絶対にできない。最初に見た図1で舟形の間に残ったあの隙間を埋めるには、冒頭で禁じ手にした伸縮を、とうとう解禁するしかないのである。
北極(点→線)
南極(点→線)
伸縮を許せば、こうして地図は作れる。ただし代償は必ず歪みとして払うことになる。どんな地図も、面積を正しく保てば形が歪み、形(角度)を正しく保てば面積が壊れる。航海に便利なメルカトル図法は角度を正しく保つ代わりに、高緯度をとてつもなく引き伸ばす ―― グリーンランドがアフリカ大陸ほどに膨れて見えるのは、この引き換えの結果なのだ。逆に、面積を正しく保つモルワイデ図法のような図法もあるが、そちらは今度は形を犠牲にする。
グリーンランド
グリーンランド
アフリカ
地図作りとは、要するに「どの歪みを我慢して、どの正しさを取るか」という、避けられない選択の技術なのである。オレンジの皮を平らにできないのと、世界地図がどうしても歪むのは、まったく同じ一つの数学が言わせていることだった。
ひとくちメモ:飛行機はなぜ遠回りに見えるのか
東京からニューヨークへ向かう航空路を平らな地図で見ると、北へ大きく弧を描いて遠回りしているように見える。だがあれは遠回りではなく、球面上の最短経路、すなわち大円に沿った「まっすぐ」なのだ。地図のほうが球面を引き伸ばして歪めているせいで、本当の直進が曲がって見えてしまう。曲がった世界の「まっすぐ」は、平らな紙の上では素直なまっすぐにはならない。
東京
ニューヨーク
✈
東京
ニューヨーク
✈
結び ― 内側に住む者の幾何へ
オレンジの皮が平らにならない。世界地図が歪む。飛行機が遠回りに見える。一見ばらばらなこれらの不思議は、すべて「面には内側だけで決まる本物の曲がりがある」という一つの事実から流れ出していた。ガウスの驚異の定理は、曲がりを外から眺める対象から、内側で測れる世界の性質へと作り変えたのである。
面の住人が外を見ずに世界の形を測れるという発想は、空間そのものが曲がりうるという近代幾何学の入口でもある。曲がった空間の幾何、平行線がいくらでも引ける双曲幾何、あるいは大域的な形を扱う位相幾何学へと話を進めたい人は、上級へどうぞ。基本に立ち返って手を動かしたい人は、初級から積み直すのもよい。
―― 次にオレンジをむくとき、皮がどうしても平らにならないことに気づいたら、それはガウスの驚異の定理が、あなたの手のなかで静かに働いている瞬間である。
よくある質問
なぜオレンジの皮や球面は破らずに平らに広げられないのか?
球面はガウス曲率が正の値を持ち、平面はガウス曲率がゼロだからである。ガウスの驚異の定理によれば、ガウス曲率は面を曲げても伸び縮みさせなければ変わらない内在的な量である。球面を平面に写すには曲率を正からゼロへ変えねばならず、それには必ず伸び縮みか破れが生じる。だからオレンジの皮はどう頑張っても、破るか皺を寄せるかしないと平らにならない。
ガウス曲率が「内在的」とはどういう意味か?
面の外側の空間を一切見なくても、面の内側で測れる長さや角度や面積だけからガウス曲率が決まる、という意味である。面の上に住む二次元の住人が、三角形の内角の和を測ったり、小さな円の周長を半径から予想される値と比べたりするだけで、自分の世界の曲がり具合を知ることができる。これがガウスの驚異の定理の核心で、外から眺めなくても内側から曲がりが分かるということである。