第6章 帰納と演繹

入門(高校〜大学1年レベル)

6.1 2種類の推論

前提から結論を導く筋道を推論という。推論には大きく分けて2つの型がある。

  • 演繹(えんえき, deduction):一般的な規則から個別の結論へ
  • 帰納(きのう, induction):個別の事例から一般的な法則へ

向きがちょうど逆である。そして決定的に違うのは結論の確かさである。演繹は「前提が正しければ結論も必ず正しい」が、帰納は「たぶん正しい」にとどまる。本章では両者を区別し、数学の証明がすべて演繹であること、そして紛らわしい「数学的帰納法」が実は演繹であることを見る。両者の向きと確かさの違いを図6.1にまとめた。

演繹 (deduction) 一般的な規則・公理 必ず正しい 個別の結論 帰納 (induction) 一般的な法則 (推測) たぶん正しい 個別の観察・例
図6.1: 演繹は一般から個別へ(必ず正しい)、帰納は個別から一般へ(たぶん正しい)

6.2 演繹 ― 一般から個別へ

定義:演繹

演繹とは、一般的に成り立つ前提(規則・公理・既知の定理)から、論理の規則だけを使って必然の結論を導く推論である。前提がすべて正しければ、結論も必ず正しい(これを「妥当」という)。

古典的な例が三段論法である。

  • 大前提:すべての人間は死ぬ。
  • 小前提:ソクラテスは人間である。
  • 結論:ゆえにソクラテスは死ぬ。

大前提と小前提が正しければ、結論は例外なく従う。新しい事実を観察したわけではなく、すでに前提に含まれていた内容を取り出しているだけである。

数学の証明はすべて演繹である

定義・公理・すでに証明された定理を前提とし、論理の規則で結論を導く ― これが数学の証明である。前章までに学んだ直接証明・対偶による証明・背理法は、いずれも演繹の具体的な型にすぎない。だからこそ数学の定理は「すべての場合に成り立つ」と確実に主張できる。

演繹の長所は確実さ、短所は「前提に無い新しい一般法則は生み出せない」ことである。新しい法則を見つける役割は、次の帰納が担う。

6.3 帰納 ― 個別から一般へ

定義:帰納

帰納とは、個別の観察や事例を集め、そこから一般的な法則を推測する推論である。結論は確実ではなく蓋然的(たぶん正しい)で、新しい事例によって覆ることがある。

自然科学の基本的な方法はこの帰納である。「これまで観察したカラスはすべて黒かった。だからカラスはみな黒いのだろう」という具合に、有限の観察から一般法則を立てる。確実ではないが、新しい仮説を生み出す力がある。

数学でも「予想」は帰納から生まれる

奇数を小さい方から足してみる。

$1 = 1 = 1^2$、 $\;1+3 = 4 = 2^2$、 $\;1+3+5 = 9 = 3^2$、 $\;1+3+5+7 = 16 = 4^2$

これだけ見ると「最初の $n$ 個の奇数の和は $n^2$ になりそうだ」と推測できる。これは帰納による予想であって、まだ証明ではない。

このように帰納は発見の道具として強力である。しかし数学では、推測がそのまま定理になることはない。次節で、その理由をはっきりさせる。

6.4 帰納は証明にならない

有限個の例で成り立っても、すべての場合で成り立つ保証はない。たった1つの反例があれば、一般法則は崩れる。数学で「例をたくさん確かめた」だけでは不十分なのである。

反例:オイラーの多項式 $n^2 + n + 41$

$f(n) = n^2 + n + 41$ を計算すると、

$f(0)=41$、 $f(1)=43$、 $f(2)=47$、 $\ldots$ ― $n = 0, 1, 2, \ldots, 39$ まですべて素数になる。

40個も連続で素数だから「$f(n)$ は常に素数だ」と言いたくなる。ところが

$$f(40) = 40^2 + 40 + 41 = 40(40+1) + 41 = 41 \times 41 = 41^2$$

となり、$41$ で割り切れて素数ではない。39個の成功例は、40番目で覆された。

もう一つの有名な例

フェルマー数 $F_n = 2^{2^n} + 1$ は $F_0, F_1, F_2, F_3, F_4$ がすべて素数である。フェルマーは「すべて素数だろう」と予想したが、オイラーが $F_5 = 2^{32}+1 = 641 \times 6700417$ と合成数であることを示した。5個の例では足りなかった。

帰納と演繹は役割分担

だからといって帰納が無価値なのではない。発見は帰納、正当化は演繹という分業である。前節の「奇数の和は $n^2$」も、まず帰納で予想を立て、それを演繹(たとえば数学的帰納法)で証明して初めて定理になる。予想を立てる段階では帰納が、確定させる段階では演繹が働く。

6.5「数学的帰納法」は実は演繹

ここが最も紛らわしい点である。「数学的帰納法」は名前に「帰納」とあるが、経験的な帰納ではなく、れっきとした演繹的な証明法である。

数学的帰納法の原理(復習)

自然数に関する命題 $P(n)$ について、次の2つを示す。

  1. 基底段階:$P(1)$ が成り立つ。
  2. 帰納段階:任意の $k$ について「$P(k)$ ならば $P(k+1)$」が成り立つ。

この2つが示されれば、$P(n)$ はすべての自然数 $n$ で成り立つ。

注目すべきは、ここで有限個の例を確かめてはいないことである。確かめたのは「最初の1つ」と「$k$ から $k+1$ への普遍的な一歩」の2つだけ。この2つだけから、ペアノの第5公理により、すべての自然数についての結論が論理的に必然として従う。飛躍はどこにもない。これは演繹そのものである。なお、この公理は「一部の例を確かめれば全部」という経験的帰納を認めるものではない。保証しているのは「基底段階と任意の $k$ での一歩がそろえば、全体が従う」ということだけである。

観点 経験的な帰納 数学的帰納法
確かめること $n=1,2,\ldots,100$ など有限個 $P(1)$ と「$P(k)\Rightarrow P(k+1)$」の2つ
結論への飛躍 あり(たぶん全部) なし(必ず全部)
結論の確かさ 蓋然的 必然(証明)
推論の型 帰納 演繹

ではなぜ「帰納」と呼ぶのか

「$P(1)$ が次の $P(2)$ を、$P(2)$ が $P(3)$ を…」と次々に成立が伝わるドミノ倒しのイメージが、個別を順に積み上げる帰納を連想させるためである。歴史的な名残で、英語でも mathematical induction と呼ぶ。名前は紛らわしいが、中身は演繹だと覚えておきたい。詳しい使い方は初級編「数学的帰納法」で扱う。

6.6 この章のまとめ

観点 演繹 帰納
向き 一般 → 個別 個別 → 一般
結論の確かさ 必ず正しい(必然) たぶん正しい(蓋然的)
役割 正当化・証明 発見・予想
数学での扱い 証明はすべてこれ 予想止まり(証明ではない)
  • 数学の証明はすべて演繹。だから「すべての場合に成り立つ」と確実に言える。
  • 「例をたくさん確かめた」は帰納で、予想の根拠にはなるが証明ではない($n^2+n+41$ の反例)。
  • 数学的帰納法は演繹。名前に反して、飛躍のない確実な証明法である。

入門編のしめくくり

これで入門編の概念はそろった。次の第7章 練習問題で理解を確認し、初級編の具体的な証明技法(直接証明・対偶・背理法・数学的帰納法)へ進もう。

よくある質問

Q1: 演繹と帰納の違いは何か。

A: 演繹は一般的な規則や公理から論理的に必然の結論を導く推論で、前提が正しければ結論も必ず正しい。帰納は個別の事例から一般的な法則を推測する推論で、結論は蓋然的(たぶん正しい)にとどまり、反例によって覆りうる。数学の証明はすべて演繹である。

Q2: たくさんの例で成り立てば数学の証明になるか。

A: ならない。有限個の例で成り立っても、すべての場合で成り立つ保証はない。たとえば $n^2+n+41$ は $n=0$ から $39$ まですべて素数だが、$n=40$ では $41$ の倍数になり素数でない。多数の例は予想(帰納)の根拠にはなるが、証明には一般的な演繹が必要である。

Q3: 数学的帰納法は帰納か演繹か。

A: 名前に「帰納」とあるが、数学的帰納法は演繹的な証明法である。基底段階 $P(1)$ と帰納段階「$P(k)$ ならば $P(k+1)$」の2つだけから、ペアノの第5公理(帰納法の公理とも呼ぶ)により、すべての自然数で $P(n)$ が論理的に必然として従う。有限個の例で済ませる経験的帰納とは本質的に異なる。