Gershgorinの円盤定理

Gershgorin Circle Theorem

中級

公開日: 2026-04-09

1. 定理の記述

$n \times n$ の複素正方行列 $A = (a_{ij})$ に対し、各行 $i$ に対応する Gershgorin 円盤 $D_i$ を次のように定義する。

Gershgorin 円盤

中心: $a_{ii}$(第 $i$ 対角成分)

半径: $R_i = \displaystyle\sum_{j \neq i} |a_{ij}|$(第 $i$ 行の非対角成分の絶対値の和)

$$D_i = \{ z \in \mathbb{C} \mid |z - a_{ii}| \le R_i \}$$

Gershgorin の円盤定理

$A$ のすべての固有値は、$n$ 個の Gershgorin 円盤の和集合に含まれる。

$$\sigma(A) \subseteq \bigcup_{i=1}^{n} D_i$$

さらに、互いに連結な $k$ 個の円盤からなるグループが、残りの $n - k$ 個の円盤と分離している(共通部分を持たない)ならば、そのグループ内にちょうど $k$ 個の固有値(重複度込み)が存在する。

ここでいう「連結」とは、円盤を頂点・共通部分を持つ (重なる、あるいは接する) ペアを辺とするグラフでの連結成分を指す。1 つの分離した連結成分には、その含む円盤の個数と同じ数の固有値 (重複度込み) が分配される。

2. 証明

$\lambda$ を $A$ の固有値、$\mathbf{x} = (x_1, \ldots, x_n)^T$ を対応する固有ベクトルとする。$|x_i| = \max_j |x_j|$ となる成分を選ぶ($|x_i| > 0$)。絶対値最大の成分に注目することで、$|x_j| \le |x_i|$ という評価が使え、三角不等式で簡潔に上界を得られる。

固有値方程式 $A\mathbf{x} = \lambda \mathbf{x}$ の第 $i$ 成分は

$$\sum_{j=1}^{n} a_{ij} x_j = \lambda x_i$$

整理すると

$$(\lambda - a_{ii}) x_i = \sum_{j \neq i} a_{ij} x_j$$

両辺の絶対値をとり、三角不等式を適用する。

$$|\lambda - a_{ii}| \cdot |x_i| = \left|\sum_{j \neq i} a_{ij} x_j\right| \le \sum_{j \neq i} |a_{ij}| \cdot |x_j|$$

$|x_j| \le |x_i|$ であるから

$$|\lambda - a_{ii}| \cdot |x_i| \le \sum_{j \neq i} |a_{ij}| \cdot |x_i| = R_i \cdot |x_i|$$

$|x_i| > 0$ で割ると

$$|\lambda - a_{ii}| \le R_i$$

したがって $\lambda \in D_i$ である。$\square$

3. 具体例: 3x3 行列

次の行列を考える。

$$A = \begin{pmatrix} 4 & 1 & 0 \\ 0.5 & 6 & 0.5 \\ 0 & 1 & 9 \end{pmatrix}$$

各行の Gershgorin 円盤を計算する。

  • 行 1: 中心 $a_{11} = 4$, 半径 $R_1 = |1| + |0| = 1$ → 円盤 $D_1 = \{z : |z - 4| \le 1\}$, つまり $[3, 5]$
  • 行 2: 中心 $a_{22} = 6$, 半径 $R_2 = |0.5| + |0.5| = 1$ → 円盤 $D_2 = \{z : |z - 6| \le 1\}$, つまり $[5, 7]$
  • 行 3: 中心 $a_{33} = 9$, 半径 $R_3 = |0| + |1| = 1$ → 円盤 $D_3 = \{z : |z - 9| \le 1\}$, つまり $[8, 10]$

$D_1$ と $D_2$ は点 $z = 5$ で接するが、$D_3$ はそれらと交わらない。したがって:

  • $D_3$ の中にちょうど1つの固有値が存在する($[8, 10]$ の範囲)。
  • $D_1 \cup D_2$ の中にちょうど2つの固有値が存在する($[3, 7]$ の範囲)。
0 2 4 6 8 10 12
$D_1$
$D_2$
$D_3$
$z=5$ 接点
$\lambda_1\approx 3.766$
$\lambda_2\approx 6.071$
$\lambda_3\approx 9.163$
Re
図1: 行列 $A$ の Gershgorin 円盤と実際の固有値。$D_1$ と $D_2$ は $z=5$ で接して 1 つの連結成分をなし、その中に 2 個の固有値、分離した $D_3$ にはちょうど 1 個の固有値が含まれる。

実際の固有値は $\lambda_1 \approx 3.766$, $\lambda_2 \approx 6.071$, $\lambda_3 \approx 9.163$ であり、すべてこれらの円盤のいずれかに含まれている。定理の第二部分が保証するのは「$D_1 \cup D_2$ (接して 1 つの連結成分をなす) に 2 個の固有値、分離した $D_3$ に 1 個の固有値」までである。$\lambda_1$ と $\lambda_2$ が個別に $D_1$, $D_2$ へ振り分かれて含まれることは定理の保証範囲外で、実際の数値計算から観察される事実にすぎない (接点 $z=5$ では両円盤を区別できない)。

4. 固有値の位置推定への応用

対角優位行列の正則性

行列 $A$ が狭義対角優位、すなわちすべての $i$ に対して

$$|a_{ii}| > \sum_{j \neq i} |a_{ij}|$$

が成り立つならば、すべての Gershgorin 円盤は原点を含まない($|0 - a_{ii}| = |a_{ii}| > R_i$ より $0 \notin D_i$)。したがって $0$ は固有値でなく、$A$ は正則である。

固有値の実部の符号

すべての円盤が複素平面の右半平面($\mathrm{Re}(z) > 0$)にあれば、すべての固有値の実部は正である。これは安定性解析で有用である。

スペクトル半径の上界

スペクトル半径 $\rho(A) = \max_i |\lambda_i|$ に対して

$$\rho(A) \le \max_{i} \left( |a_{ii}| + R_i \right)$$

が成り立つ。

5. 複素固有値の場合

Gershgorin 円盤は複素平面上の閉円盤である。行列が実行列であっても、固有値が複素数になることがある。この場合、円盤は複素平面上で考える必要がある。

例: 複素固有値を持つ実行列

$$B = \begin{pmatrix} 0 & -5 \\ 5 & 0 \end{pmatrix}$$
  • 行 1: 中心 $0$, 半径 $5$ → $D_1 = \{z : |z| \le 5\}$
  • 行 2: 中心 $0$, 半径 $5$ → $D_2 = \{z : |z| \le 5\}$

固有値は $\lambda = \pm 5i$ であり、どちらも $|z| = 5$ で円盤の境界上にある。このように、実軸上だけでなく複素平面全体を考えることが重要である。

Re
Im
$-5$
$5$
$5i$
$-5i$
$D_1 = D_2$
$\lambda = +5i$
$\lambda = -5i$
図2: 実行列 $B$ の Gershgorin 円盤と複素固有値。$D_1$ と $D_2$ はともに原点中心・半径 5 の円盤として一致し、固有値 $\pm 5i$ は円盤の境界上 (虚軸上) に位置する。

実対称行列の場合は固有値が必ず実数であるため、円盤と実軸の交わりのみを見ればよい。しかし一般の行列では、円盤は2次元領域として複素平面上で解釈する。

6. 行と列の両方からの評価

Gershgorin の定理は $A$ だけでなく $A^T$ にも適用できる。$A^T$ の固有値は $A$ と同じであるため、列からの円盤も固有値の包含領域を与える。

列からの Gershgorin 円盤

中心: $a_{jj}$(第 $j$ 対角成分)

半径: $C_j = \displaystyle\sum_{i \neq j} |a_{ij}|$(第 $j$ 列の非対角成分の絶対値の和)

$$D_j^C = \{ z \in \mathbb{C} \mid |z - a_{jj}| \le C_j \}$$

行からの評価と列からの評価の交差をとることで、より精密な包含領域が得られる。

$$\sigma(A) \subseteq \left(\bigcup_{i=1}^{n} D_i\right) \cap \left(\bigcup_{j=1}^{n} D_j^C\right)$$

例: 交差による改善

$$C = \begin{pmatrix} 10 & 0.1 & 0 \\ 2 & 5 & 0.1 \\ 0 & 2 & 1 \end{pmatrix}$$

行からの円盤:

  • $D_1$: 中心 $10$, 半径 $0.1$ → $[9.9, 10.1]$
  • $D_2$: 中心 $5$, 半径 $2.1$ → $[2.9, 7.1]$
  • $D_3$: 中心 $1$, 半径 $2$ → $[-1, 3]$

列からの円盤:

  • $D_1^C$: 中心 $10$, 半径 $2$ → $[8, 12]$
  • $D_2^C$: 中心 $5$, 半径 $2.1$ → $[2.9, 7.1]$
  • $D_3^C$: 中心 $1$, 半径 $0.1$ → $[0.9, 1.1]$

行からの円盤では $D_3 = [-1, 3]$ と広いが、列からの円盤 $D_3^C = [0.9, 1.1]$ は非常に狭い。交差をとることで、$1$ 付近の固有値の位置を $[0.9, 1.1]$ と精密に推定できる。

7. 応用

  • 数値計算の事前評価: 反復法の収束性を判定するためにスペクトル半径を事前に推定する。
  • 安定性解析: 微分方程式の離散化で得られる行列の固有値が安定領域内にあるかを確認する。
  • 前処理の設計: Gershgorin 円盤を小さくするような対角スケーリングにより、条件数を改善する。
  • 正則性の判定: 対角優位ならば正則であることが直ちにわかる。
  • 摂動解析: 行列の成分に小さな摂動を加えたとき、固有値がどの程度動くかを定性的に評価する。

8. 参考資料

  • Wikipedia「Gershgorin circle theorem」(英語版)
  • Wikipedia「ゲルシュゴリンの定理」(日本語版)
  • R. S. Varga, Gershgorin and His Circles, Springer, 2004.
  • G. H. Golub, C. F. Van Loan, Matrix Computations, 4th ed., Johns Hopkins University Press, 2013.
  • R. A. Horn, C. R. Johnson, Matrix Analysis, 2nd ed., Cambridge University Press, 2012.

よくある質問

Gershgorinの円盤定理とは何か?

$n \times n$ 行列 $A$ の各固有値は、少なくとも 1 つの Gershgorin 円盤 $D_i = \{ z \in \mathbb{C} : |z - a_{ii}| \le \sum_{j \neq i} |a_{ij}| \}$ に含まれるという定理である。つまり、行列の成分だけから固有値の存在領域を推定できる。

Gershgorinの円盤定理はどのような場面で使われるか?

数値計算における固有値の事前推定、行列の正則性判定(対角優位行列は正則)、制御理論での安定性解析、反復法の収束判定などに使われる。固有値を実際に計算せずに位置を絞り込めるため、計算コストの低い事前チェックとして有用となる。