ソフス・リーという夢 ― 名前になった数学者の生涯
The Dream of Sophus Lie
読み物
「リー代数」「リー群」「リー括弧」――この分野では、何にでも「リー」が付いてまわる。教科書を開けば当たり前のように並んでいるこの一文字は、いったい何なのだろう。地名でも、性質を表す形容詞でもない。一人の数学者の名字である。
その人の名はソフス・リー(Sophus Lie、1842–1899)。北の国ノルウェーに生まれ、ある大きな夢を胸に抱いて生きた人だ。この記事では、定義や計算からいったん離れて、その「リー」がどんな人物で、何を夢みて、なぜその名が一つの分野に刻まれることになったのかを、肩の力を抜いてたどってみたい。理論の背後にいる生身の人を知ると、無味乾燥に見えた記号たちが少し違って見えてくる。
北国の、遅咲きの数学者
リーは1842年、ノルウェー西部の小さな町の牧師の家に生まれた。背が高く体格がよく、若いころは数学者というより、山歩きや体操を好む快活な青年だったという。実のところ、大学を出てすぐに数学の道へまっしぐら、というわけではなかった。しばらくは進路を決めかね、家庭教師をしたり、自分が何に向いているのか思い悩んだりしている。
転機は20代の後半、独学で幾何学の論文をむさぼり読むうちに訪れた。あるとき彼は、自分の中で何かが噛み合う感覚を得る。図形を「動かす」「変換する」という見方に、強く惹かれていったのだ。遅咲きではあったが、いったん火がつくとリーの集中は凄まじく、独創的なアイデアを次々と書き留めるようになる。
当時の数学の中心地はパリやドイツの大学であり、ノルウェーは数学の世界では辺境だった。中央から遠いその位置が、かえって彼を自由にした面もある。流行の手法に縛られず、自分の関心 ―― 連続的に図形を変形させる操作 ―― をまっすぐ掘り下げていけたのである。
「微分方程式のガロア理論」という夢
リーの仕事を貫く一本の太い背骨がある。それは「微分方程式に対するガロア理論を作りたい」という夢だった。
少しだけ背景を補おう。それより前、若くして世を去ったガロアは、代数方程式が「べき根で解けるかどうか」を、解の入れ替え方 ―― すなわち対称性 ―― がなす群の性質で見抜く理論を残していた。方程式そのものをいじり回す代わりに、その背後にある対称性の構造を調べれば、解ける・解けないが判定できる。これは数学史でも指折りの鮮やかな発想だった。
リーはこう考えた。代数方程式にそんな理論があるのなら、微分方程式にも同じことができるのではないか。微分方程式にも、それを不変に保つ「連続的な対称性」があるはずだ。その対称性を調べれば、どの方程式が素直に解けて、どれが手ごわいのかが見通せるのではないか ―― と。
ここで決定的なのは、対称性が「飛び飛び」ではなく「連続的」だという点だ。代数方程式の解の入れ替えは有限通りしかないが、微分方程式の対称性はなめらかに動かせる。この連続的な対称性を扱うために、リーは「連続変換群」という新しい対象を組み立てていくことになる。それが今日のリー群であり、その骨格を取り出したものがリー代数なのである。連続的な対称性とは何かを眺めると、彼が向き合っていた相手の手ざわりが伝わってくる。
ひとくちメモ:目的より道具が大きく育つ
面白いのは、リーが本来ねらった「微分方程式の解の理論」よりも、その途中で作った道具のほうが大きく育ったことだ。連続変換群という枠組みは、もとの目的をはるかに越えて、幾何学・物理学・表現論へと広がっていった。道具を磨くうちに、道具そのものが新しい世界の扉になる ―― 数学ではしばしば起こる、痛快な逆転である。なお、今日「微分ガロア理論」と呼ばれる体系は、のちにピカールやヴェシオが別の道筋で築いたもので、リーの対称性による方法とは系統が異なる。リーの夢は、その名のついた理論よりも、むしろ連続変換群という新しい数学そのものへと結実したのである。
クラインとの、熱い友情とすれ違い
リーの人生を語るのに、フェリックス・クラインの名は外せない。二人は若いころにベルリンで出会い、たちまち意気投合した。性格は対照的 ―― 大柄でおおらかなリーと、機敏で社交的なクライン ―― だったが、「変換群で幾何を捉える」という関心を分かち合い、互いに刺激を与え合う無二の友になった。
1870年、二人はパリに滞在して最先端の数学を吸収する。ところが同じ年に普仏戦争が勃発し、運命が二人を引き裂く。ドイツ人のクラインは早々に帰国した。残ったリーは、よりによってフランス国内を徒歩で旅していたところを、ドイツのスパイと疑われて逮捕・拘留されてしまう。手荷物にあった数学のメモが暗号と間違えられた、という逸話まで残っている。幸い学者の助けで釈放されたが、なんとも数学者らしい災難だった。
その後クラインは有名な「エルランゲン目録」で、幾何学を変換群によって分類する綱領を打ち出す。この発想にも、若き日のリーとの対話が大きな刺激を与えたとされる。やがて二人の歩みは離れ、晩年には学問上の優先権をめぐって関係がぎくしゃくした時期もあった。それでも、リー理論の芽が二人の若き日の熱い対話から生まれたことは、まぎれもない事実である。
名前が、分野になるということ
リーは晩年にライプツィヒ大学の教授を務め、共同研究者の助けを借りながら、連続変換群の理論を分厚い著作にまとめあげた。健康を損ねた彼は、最後に故郷ノルウェーへ戻り、1899年に世を去る。享年56。自分の理論が後の世でどれほど大きな実を結ぶかを、本人が見届けることはなかった。
その実りは、彼の予想をはるかに超えていた。20世紀に入ると、リー群・リー代数は量子力学の土台になり、素粒子の分類を支え、相対性理論の対称性を記述する言葉となった。回転を表す $\mathfrak{so}(3)$ や、特殊相対論のローレンツ変換の背後にある構造まで、現代物理はリーの言葉なしには語れない。応用数学から物理、さらには結晶やロボットの姿勢制御に至るまで、「連続的に動かせる対称性」が顔を出すところには、たいてい彼の名が控えている。
一人の数学者の名字が、形容詞のように分野のあちこちに住みついている。これは数学者にとって最高の栄誉の一つだ。リー代数を学ぶたびに、私たちは知らず知らずのうちに、北国の遅咲きの夢想家の名を口にしているのである。リー群とリー代数の関係を学ぶと、彼が夢みた「連続的な対称性をとらえる」という構想が、いかにきれいな形で実を結んだかが見えてくる。
ひとくちメモ:もう一人のノルウェーの天才
ノルウェーが生んだ数学者というと、リーより前にアーベルがいる。やはり若くして亡くなったこの天才も、方程式が「べき根で解けない」ことを示すという、ガロアと響き合う仕事を残した。小さな北の国から、対称性と方程式の可解性をめぐる発想が二人も生まれた ―― リーが「微分方程式のガロア理論」を夢みた背景には、こうした同郷の系譜への思いもあったのかもしれない。
結び ― 記号の向こうにいる人
$[X, Y]$ という括弧も、$\mathfrak{g}$ という花文字も、もとをたどれば一人の人間が「微分方程式を対称性で見抜きたい」と願った、その願いの結晶である。リー代数とは、ソフス・リーが残した夢の、いまも使える形なのだ。
夢の中身そのものに分け入る準備は、もう整っている。リー代数の定義で、彼が組み立てた構造をきちんと見てみよう。あるいは、その心臓部であるリー括弧から触れてもいい。手を動かして慣れてきたら、初級で対称性の「性格」を読み分ける旅へ進んでいける。記号の向こうに立つ人を思い浮かべながら歩けば、その道はきっと少しだけ親しみやすいものになるはずだ。
よくある質問
「リー代数」のリーとは誰のことですか?
19世紀ノルウェーの数学者ソフス・リー(Sophus Lie、1842–1899)のことです。彼は連続的に動かせる対称性(連続変換群、いまのリー群)を体系的に研究し、その単位元近くの「無限小の動き」をとらえる代数構造を導入しました。これが後にリー代数と呼ばれるようになり、彼の名がそのまま分野の名前として残っています。発音は「リー」で、英語名のような「ライ」ではありません。
ソフス・リーは何を目指して研究していたのですか?
代数方程式に対するガロア理論のような「解ける/解けないを対称性で見抜く理論」を、微分方程式に対して作ることが彼の夢でした。代数方程式の解の置き換え(対称性)が群をなしたように、微分方程式にも連続的な対称性があり、それを調べれば方程式の解きやすさが分かるはずだと考えたのです。この探究の途中で生まれたのが連続変換群の理論であり、目的だった微分方程式論を越えて、現代の幾何学や物理学の共通言語へと育ちました。