多項式の歴史

古代エジプトから現代ガロア理論まで 4000 年の歩み

初級(大学1〜2年レベル)

多項式は、方程式を解く実用的な必要性から始まり、4000 年以上の歳月を経て、現代代数学の礎を築いた。以下では、次数ごとに解法が発見されていった歴史を辿る。

1. 1次式 — 方程式の原点

最も単純な多項式方程式 \( ax + b = 0 \) は、文明とともにある。古代エジプトのリンド・パピルス(紀元前1650年頃)には「ある量にその \( \frac{1}{7} \) を加えると19になる」(\( x + \frac{x}{7} = 19 \))といった1次方程式が記録されている。古代バビロニアも穀物の分配や労働日数の計算として1次方程式を日常的に解いていた。

1次式の解法 \( x = -b/a \) は自明に見えるが、これが可能であるためには除法負の数の概念が必要である。中国の『九章算術』やインド数学では古くから負の数が用いられたが、西洋数学で負の数が一般に受け入れられるには17世紀頃まで待たなければならなかった。

2. 2次式 — バビロニアの平方完成

紀元前2000年頃のバビロニアの粘土板には、2次方程式の解法が手順(アルゴリズム)として記録されている。「正方形の面積と一辺の和が与えられたとき、辺の長さを求めよ」という問題は、現代の記号で書けば \( x^2 + bx = c \) である。バビロニア人は本質的に平方完成を行い、この方程式を解いた。

古代ギリシアでは、ユークリッドが『原論』の中で線分の操作として2次方程式を扱った(面積のあてはめ)。しかし「多項式」という代数的対象の概念はまだ存在せず、すべては幾何学的に処理された。

9世紀、アル=フワーリズミーは著書『復元と対比の書(アル・ジャブル)』で2次方程式を6つの標準形に分類し、それぞれの解法を体系的に示した。この書名がalgebraの語源である。彼が負の数や零を係数として認めなかったため、\( x^2 = bx \)、\( x^2 + bx = c \)、\( x^2 + c = bx \) 等は別の型として扱われた。

3. 3次式 — ルネサンスの方程式戦争

11世紀、ペルシアの詩人・数学者オマル・ハイヤームは3次方程式を19の型に分類し、円錐曲線の交点として幾何学的に解いた。しかし代数的な公式は得られなかった。

突破口を開いたのは16世紀イタリアの数学者たちである。ボローニャ大学のデル・フェッロが1515年頃に \( x^3 + px = q \) の解の公式を発見し、秘密にしていた。タルターリアが独立に同じ公式に到達し、カルダーノが1545年の著書『アルス・マグナ』で公表した。この公式はカルダーノの公式として知られる:

\[ x = \sqrt[3]{-\frac{q}{2} + \sqrt{\frac{q^2}{4} + \frac{p^3}{27}}} + \sqrt[3]{-\frac{q}{2} - \sqrt{\frac{q^2}{4} + \frac{p^3}{27}}} \]

この公式は、実数の根を持つ場合でも負の数の平方根(虚数)を経由して答えに到達することがある(還元不能の場合: casus irreducibilis)。これが複素数の概念を生む契機となった。

4. 4次式 — フェラーリの解法

カルダーノの弟子フェラーリは、4次方程式を補助的な3次方程式(レゾルベント)に帰着させて解く方法を発見した。これも『アルス・マグナ』に収録されている。

これにより、1次から4次までのすべての多項式方程式がべき根(四則演算と累乗根)で解けることが確立された。

5. 記号代数の発展

解の公式と並行して、多項式を扱う言語そのものも進化した。

ヴィエトの貢献は、個々の方程式を解くだけでなく、根の持つ性質を一般的に論じるという視点の転換であった。

6. 5次以上 — 解けないことの証明

18世紀、ラグランジュは3次・4次の解法を置換の観点から統一的に分析し、同じ方法では5次方程式が解けないことを示唆した。解の置換に着目したこの視点は、後の群論の萌芽となった。

1799年、ガウスは代数学の基本定理の最初の本格的な証明を与え(厳密な完成は後世のアルガンやコーシーらによる)、\( n \) 次多項式が \( \mathbb{C} \) 上で \( n \) 個の根を持つことを示した。根は必ず存在する。しかし、それを公式で書けるかは別の問題である。

1824年、アーベルは「5次以上の一般の多項式方程式は、四則演算とべき根では解けない」ことを証明した(アーベル=ルフィニの定理)。アーベル自身は、この仕事ののち26歳で夭折している。

1832年、ガロアは方程式の可解性をの構造で完全に特徴づけた。具体的な方程式が与えられたとき、それがべき根で解けるかどうかを判定する理論(ガロア理論)を創った。5次対称群 \( S_5 \) が可解群でないことが、一般の5次方程式の解の公式が存在しない根本的理由である。ガロアはわずか20歳で決闘に倒れ、その前夜に書き残した草稿が、今日のガロア理論の出発点となった。

方程式解法の歴史 — 2次から「べき根で解けない」までの年表 べき根で解ける べき根では 解けない 時代 2次 バビロニア 前2000年頃 平方完成 1545年 3次 デル・フェッロ/ タルターリア/カルダーノ 4次 フェラーリ 1545年 レゾルベント 1799年 ガウス 代数学の基本定理 (根は必ず存在) 5次以上 アーベル 1824年 1832年 ガロア ガロア理論 (可解性の判定) 次数が上がるほど解法は難しくなり、5次でついに「べき根による一般解は存在しない」と証明された。
図1. 方程式解法の歴史。2次(バビロニアの平方完成)から、16世紀イタリアの 3次(カルダーノの公式)・4次(フェラーリ)まではべき根で解けるが、5次以上の一般式 \( a_n x^n + \cdots + a_0 = 0 \) はアーベル(1824年)とガロア(1832年)により、べき根では解けないことが示された。

7. 年表

時代到達点
紀元前1650年頃エジプト:リンド・パピルスに1次方程式
紀元前2000年頃バビロニア:2次方程式を平方完成で解く
紀元前3世紀ユークリッド『原論』:幾何学的な方程式解法
3世紀頃ディオファントス:略記号による方程式記述
9世紀アル=フワーリズミー:代数学 (algebra) の体系化
11世紀オマル・ハイヤーム:3次方程式の幾何的解法
1545年カルダーノ『アルス・マグナ』:3次・4次の公式
16世紀後半ヴィエト:記号代数と根・係数の関係
1637年デカルト:座標幾何学、符号の法則
1770年ラグランジュ:置換による解法の分析
1799年ガウス:代数学の基本定理の最初の証明
1824年アーベル:5次方程式の不可解性の証明
1832年ガロア:ガロア理論の創設

8. 参考文献

9. よくある質問

なぜ5次以上の方程式はべき根で解けないのか

一般の5次以上の方程式に解の公式が存在しないことは、アーベル=ルフィニの定理(1824年)が示した事実である。ガロアはその根本的な理由を群論で説明した。方程式の対称性を表すガロア群が「可解群」であることがべき根で解けるための条件であり、5次対称群 $S_5$ は可解群でないため、一般の5次方程式はべき根では解けない。ただしこれは「一般の」5次方程式の話であり、$x^5-1=0$ や $x^5-2=0$ のような特別な5次方程式は個別にはべき根で解ける。解けないのは、係数を文字のまま表した一般の解の公式である。

「代数学(algebra)」という言葉の由来は何か

9世紀の数学者アル=フワーリズミーの著書『アル・ジャブル(復元と対比の書)』に由来する。書名の「アル・ジャブル(al-jabr)」がラテン語を経て algebra となった。彼はこの書で2次方程式を6つの標準形に分類し、体系的な解法を与えた。

3次方程式の解の公式を最初に発見したのは誰か

3次方程式 $x^3 + px = q$ の解の公式を最初に発見したのは、16世紀ボローニャのデル・フェッロである(1515年頃)。彼は公式を秘密にしていた。後にタルターリアが独立に再発見し、カルダーノが1545年の著書『アルス・マグナ』で公表したため、一般には「カルダーノの公式」として知られる。